厳島神社
坂野家住宅からの帰り道
すぐそばにあった厳島神社に寄ってみました
菅原道真公 御廟所の石塔
鳥居立記念には以下のように書かれていました
石塚大善は天正4年(1576年)下妻城主多賀谷と小田原城主北上との戦いにより炎上した天満宮の再建に関わる
爾来今日まで石塚一族は天神講を組織し、菅公の神恩に奉謝しつつ、菅公九百年祭碑に注連縄を献納してきた。
恰も今日は、菅公没後千百年を迎え、菅公の御遺骨を御本殿から遷すため、天満宮納賛会により御廟所が建設された。
因って、石塚家天神講は鳥居を奉納する。
平成14年11月吉日
本当に遺骨があるのでしょうかね?
全国各地に歴史上の有名人の遺骨があったりしますが
本当に遺骨があるのがちょっと疑問に感じちゃいます
菅公千百年祭の碑
下記、Wikipedia「菅原道真」より抜粋
菅原道真の死後、京には異変が相次ぎ、醍醐天皇の皇子が次々に病死した。さらには朝議中の清涼殿が落雷を受け、朝廷要人に多くの死傷者が出た。これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。
延喜22年4月20日(913年6月2日)、従二位大宰権帥から右大臣に復し、正二位を贈ったのを初めとし、正暦4年(993年)には贈正一位左大臣、同年贈太政大臣(こうした名誉回復の背景には道真を讒言した時平の子孫が早くに断絶した一方で、宇多天皇の側近で道真にも好意的だった時平の弟・忠平の子孫が藤原氏の嫡流となった事も関係しているとされる)。
清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられた。こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになっている。
隣にある大生郷天満宮のHPから抜粋
道真公の死後、京都にいろいろな怪奇現象が起こり、これ総て道真公の祟りと恐れる様になり、道真公死後二十年、延喜二十三年(923年)になり朝廷はその冤罪を認め、元の右大臣に服しあらためて、正二位を贈りその霊を慰めたといわれます。後に正一位左大臣、更に太政大臣が追贈されております。
そうして道真公の天下国家に尽くされた功績と崇高な人徳を偲び、慰霊のため次第に神格化され「太政威徳天神」、やがて「天満大自在天神」のご神号が奉られ、各階層の人々に慕われ、日本各地に天満宮、天神社、菅原神社などとして誠実無比な神として祀られるようになりました。
全国各地に天満宮がある理由がようやく分かりました
旧水海道市(現常総市)は古いお寺や神社が多く、結構面白い
僕の住む守谷から近いので気楽に行けるのが良いです
常総市で遊んだ帰りは
水海道駅前のブラジル屋さん「TAKARA(アソーゲ・タカラ 水海道店)」に寄り、パンやハムなどを買い
地域農産物直売所 ファーマーズマーケットほくそうで野菜や果物を買って帰ります
ほくそうの店長へ
差し入れさせてもらったのは、TAKARAさんのブラジルパン「ポン・デ・ケージョ」です。 美味しかったでしょ?
地図上では天神公園と記されているところにあるのが厳島神社です
大生郷天満宮の隣にあります
厳島神社の住所などは分からないので代わりに大生郷天満宮のものを書いておきます
大生郷天満宮
茨城県常総市大生郷町1234
0297-24-1739