寒い中、つくばみらい市の福岡堰さくらまつりで花見をしてきました

3月30日(土)は福岡堰のさくらまつりに行って花見をしてきました

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今年は桜が咲くのが、例年より1-2週間早かったのですが、満開になった週末の天気はイマイチで、肌寒いというより、かなり寒かったです...

立て看板によると、元々は福岡堰さくらまつりは4月12日から16日の予定だったようですね

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小貝川沿いにずーーと植わっている桜を観に行く前に、子どもたちはいきなりトウモロコシを購入

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とても寒かったので、誰もかき氷が欲しいとか言わなかったなw

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とても綺麗な桜並木が1.5kmぐらい続くのですが、いやー、今年はなんとも寒い

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ビニールシートとか敷いて宴会している人も殆どいなかったし、例年1組いるカラオケの方も見当たりませんでした

 

例年だとカヤックをされている方々が気持ちよさそうで羨ましいのですが、今年は寒さのためにあまり羨ましく見えませんでした(笑

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あまりに寒いので、早めに切り上げて駐車場に戻ろうとすると

息子は鮎の塩焼きが食べたいと、みんなを追いてグングンと一人で進んでいってしまう...

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息子待望の鮎の塩焼き(僕も1匹たべましたけどね)

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娘はチョコバナナを食べていました

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帰りがけに福岡堰に関する説明看板を見つけました

福岡堰(ふくおかぜき)は谷和原村の最北端にあり元和年間関東郡代伊那半十郎忠治めの支配する鬼怒・小貝川の分流域にあたる谷原領三萬石が干拓され、その用水源として寛永二年(1,625年)小貝川を萓洗堰で堰止め、1.6kmを導水し、台通、川通の両元入から地区内へ潅漑用水したいのが始まりで、山田沼堰ともいわれ、享保7年(1,722年)福岡地内に開設して福岡堰となかった。小貝川締切工事は毎年春の彼岸に竣工し、用水のすんだ秋の彼岸に切流した。

 のち、明治十九年木造堰枠に改築され十年毎に伏替していた。大正十二年に工費15万円で鉄筋コンクリート造りに改築しその恩恵を受けていたが、小貝川の流量増大と本体の老朽化のため、昭和四十六年工費十億円余で竣工したのが現在の福岡堰である。

 福岡堰(ふくおかぜき)は谷和原村の最北端にあり元和年間関東郡代伊那半十郎忠治めの支配する鬼怒・小貝川の分流域にあたる谷原領三萬石が干拓され、その用水源として寛永二年(1,625年)小貝川を萓洗堰で堰止め、1.6kmを導水し、台通、川通の両元入から地区内へ潅漑用水したいのが始まりで、山田沼堰ともいわれ、享保7年(1,722年)福岡地内に開設して福岡堰となかった。小貝川締切工事は毎年春の彼岸に竣工し、用水のすんだ秋の彼岸に切流した。

 のち、明治十九年木造堰枠に改築され十年毎に伏替していた。大正十二年に工費15万円で鉄筋コンクリート造りに改築しその恩恵を受けていたが、小貝川の流量増大と本体の老朽化のため、昭和四十六年工費十億円余で竣工したのが現在の福岡堰である。

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